やりたいことをやることと自分ができる限界は同じではない 3日目

声優アーティスト、1stアルバムやシングルが一番本人のやりたい路線で楽しそうにやってるのに徐々に個性がなくなってくのはなぜなのでしょう?

 

例えば俺がいきなりプロ野球選手を志したって

冷静にならなくても無理だって思うだろう。

 

じゃあ手短なところでブロガーとか、イベントライターとして食っていこうと思ったら?そしてそういうお誘いがあったら?

ひょっとしたら俺は勘違いでGoするかもしれん。

 

声優がもし歌手としてのデビューの話を受けたら?

”声を使う”という親(ちか)しい同業のように感じてだいたいgoするだろう。

 

もちろんそれだけじゃなくてひょっとしたら、今後の声優人生を豊かにすることだったり、ライブによる収益の増加を狙ったりってのもあるかもしれないけどね。

 

同業のように感じてGoしたのならきっと大きな壁にぶつかるんじゃないかと。

歌による自己表現と声による他己表現に決定的な差があることに。

 

善悪問答ではないので冷静に読んでほしい。

声優である限り何かを演じるという行為によってキャラクターに命を吹き込むなり、動作を起こさせるのが彼らの仕事である。

だから棒読みであることに、ヘッタクソな演技に俺たちはイラっとするんだろう、だってそれなら演技を見る理由がないんだから。

 

じゃあ対して歌で自己表現をするというのはどういうことかと考える

 

ステージには自分しかいない。

そこに立つのは誰かの役でもないし、キャラでもない。

今まで生きてきた自分をそこで表現する、そういう気持ちがMCに出てきたり、歌でロングトーンを更に伸ばしたりで細かな表現で出す、それが歌による自己表現だろう。

 

だから俺たちはここで歌詞を間違えたり、声が出ないなんてことになると残念だと思うわけだ。

 

ここ最近の声優アーティストって声優キャリアとしてはどうだろう?

2.5次元からの流れでデビューしてるひとがほとんどなんじゃないか?

 

じゃあそういう立場だけで生きてきた声優が歌える歌って限界が存在してて

 

大きく分けて

 

  • アニメタイアップシナリオだけに寄り添う歌

 →タイアップアニメと本人人気度に依存。

  • お世話になったアニメのキャラに寄せたような歌

 →ラブライブやりがち。

 そこのファン層しか集められないから2~3年後には消えてる。

  • 今まで演じてきたキャラと真逆の歌

 →完全にバクチ。当たると予想外の人気が出る。

 

2.5次元声優を目指して結果そうなった人たちの限界点は大まかにわけるとこの3つ。

そして今後も2.5次元声優を育成する流れは変わらないだろうからこれは暫く続く。

安物買いの銭失いが声優事務所は続くでしょう。

今更いくら出てきてもちょっと声のかわいい女の子が歌うだけで5年戦えるのか?

しかも、超特徴的な声でもない。

 

これって地下アイドルで良くないですか?

それって極論Vtuberで良くないですか?

 

俺がなんで”声優コンテンツが死ぬまで”

なんて強いタイトルで書き始めたのか

この極論にブログの読者みんなでたどり着こうという大まかな目論見があったから。

 

想像異常にやばいって、もう身近に声優なんて肩書きがいかにくだらないことになってるかって知ってほしかった。

 

この一ヶ月であのサクラ大戦シリーズがvtuberを起用しました

もう宣伝大使じゃないんですよ?

 

声が可愛い

 

これならもうVtuberでいいやん

っていう時代がすぐ近くに来てます。

 

本題とはだいぶそれましたけども

 

自分の歌える歌は自分の人生そのものだと思ってるので

経験のない人間の歌は響かないし歌わせても薄いんですよ。

 

強い作曲家(ってなんだよ)を充てることのメリットはまさにここにあって、ある程度ごまかしが効くんですよね~

 

途中何書いてんのかわからんかったけどまぁニュアンスで捉えてください。

以上です。

 

 

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